『長所、短所』


個性はときどき長所とか短所とか言われてしまいます。

『あなたのこういうところはいいよね』とか、『あなたのここはなおしたほうがいい』 とか。

よほど法を逸脱していない限り大きなお世話なんですよね。

そんなことを言う人は大抵の場合、 『あなたのこういうところが私にとって都合がいい』 とか、『あなたのここが気に入らない』と言っているんです。

自己主張がしっかりしている人。 自分の考えをしっかり持っている人。 と聞いて悪い印象を持つ人はいないでしょう。

しかしこれは時には『頑固者・イシアタマ』と言われる個性です。

じゃぁ、どういうときに受け取り方が変わるのか…?。

それは、我が身に降り懸かったときです。 自分と相手が合わなかったとき。

人に長短付ける前に、自分自身の心を内観したいものです。




  
『植物に学ぶ』

植物は根というアンテナを張り巡らせて、地中から栄養を吸収します。
枝葉を広げて光を受け、吸収した栄養を自分のものにします。

人間も同じことですね。

『ご縁』というアンテナを張り巡らせて、『経験』という栄養を吸収します。

天から惜しみなく注がれる光と愛を受けて、経験を生かして成長します。

本当に植物から学ぶことって多いですね。

植え替えをしていていつも思うのですが、見えている部分よりも見えていない部分の成長のほうが早いんですよね。で、実際に見えていない部分の成長のほうが大事で。こっちが成長していなければ見えている部分は枯れてしまいます。

植物はそのことが目に見えてわかりますが、人間はそうはいきませんね。

でも人間の成長も同じことです。

見えないことが曲者ですが、この事実は認めざるを得ないでしょう。

そんなことがわからない人はおおよそいないのに、みんなわかっているのに、それなのに上辺だけを取り繕ったり、きれいな花で着飾って一時をごまかして過ごそうとします。

立派な根を張りさえすれば、自然に輝けるというのに・・・。

もっともっと成長したいし、もっともっと大きくなりたい。
もっともっと賢くなりたいし、もっともっと強くなりたい。

河崎にも尊敬する人や目標とする人がたくさんいます。
みんな素晴らしい方々です。
もっともっと成長しなければ・・・。
と思う今日この頃です。


   『五体不満足』

五感不満足

でも、私は今日も生きている。

ありがたい。

幸せだ。

こんな私でも生きていける世界を作ってくれた神様に感謝。

そして、生かしてくれる世界に感謝。


「上見て暮らすな、下見て暮らせ」的な発想は嫌いです。

しかし、心の平安だけは、原点を忘れてしまっては在り得ないのです。

以前にも書きましたが、欲の面積の分だけ、不幸の面積も増えます。

欲を持った分だけ、強くならなければなりません。

それに見合う自分にならなければ手に入りません。

依存していては幸せなど手に入るわけはないのです。

あなたに転機が訪れているときに、間違いのないアドバイスが出来る人の愛情を信じて下さい。

甘えさせる言葉は悪魔の囁きでしかありません。

あなたが強く立とうとするとき、あなた自身が判断を誤ってはいけません。

自分と戦うことでしか、強くはなれないのですから。



   『種蒔きのお話』

向日葵の種を撒けば向日葵しか咲きません。
雑草の種を撒けば雑草が育ちます。
毒性のある植物の種を撒けば、それが芽吹き、育ちます。

簡単に言うなら原因と結果。

撒いた種によって生育期間は違いますが、必ず芽吹いてしまうのがカルマの種。カルマというと今生のものは来世に持ち越しという感じがしますが、そんなことはないんですね。先程書いたように『種によって生育期間は違う』のです。

植物の種なら発芽率60%とかあるんですけど、カルマの種の発芽率は良いものも悪いものも100%です。
現状に不満を抱いている方は少なくないと思います。しかし、その原因は自らが作り出している場合がほとんどなのです。
上記とは矛盾した記述になるかもしれませんが、実は『悪い種』なんてものは存在しないんですね。その実りが『悪いもの』に見えてしまうのは、実は自分のピンポイントな視点。現実が自分の都合のいいように、思うようにいかないとか、今、私が傷ついた。とか。または、『私はこんなに頑張っているのに』というような自己弁護、自己擁護。

社会は協調性の産物ですから、自分の都合のいいように行かなくて当たり前なのに、ついついそのことを忘れて悲劇のヒロインになりがちです。

では、『悪い種はない』とはどういうことなのかというと、『すべてはあなたが良くなるために起きている。』ということなのです。
この世の中で起きる現象は全て一過性のもの。あなたがこれまで生きてきた人生を振り返ってみても、様々な出来事に一喜一憂しながら成長してきたことはおわかりでしょう。良いことも悪いこともたくさんあったと思います。しかし、その中のどれ一つ、誰一人欠けても今のあなたはないのです。
あなたは今、自分が幸せであることに感謝すべきなのです。
いろいろ不満はあるかもしれません。しかし、今より落ちることもあるのです。落ちてから、失ってから気付いても遅いのです。

まず現状に感謝して、そして起きる出来事を肯定的に捕らえる努力をしてみてください。
あなたが『良い種』しか撒いていないことに気付くでしょう。
そして、大きな愛であなたを見守っておられるあの世とこの世の方々に、心から感謝なさるでしょう



  『季節考察』

12ヶ月を四季で均等に分けたとして一つの季節に与えられた期間は3ヶ月。
そう考えてみると季節の移ろいは早い。
いつの間にかいつの間にかっていう感じで、季節の変化に追われるように生きていては全てが後れを取ってしまう。
春が来れば夏が来る。秋が来れば冬が来てまた春が来る。
わかってる当たり前のこと。

なのに『今』しか見えなくなってしまうから『今』に執着してしまう。
今は今しかない。今は既に過去になる。
時間は止まらない。絶えず流れ、変化していく。
そんな中で立ち止まることはできるわけがない。

枝から落ちた木の葉が、川の流れに乗って流れ始める。
しばらく流れた後によどみにはまる。
立ち止まれず、過ぎ行く時間の中で同じところをくるくる回る。
よどみにはまった木の葉は、同じところを回り続ける。
木の葉が流れに乗れずに回っている間にも、川は流れ続ける。

流れに戻らなければ変化は起きない。
戻るためには外的な力が必要か・・・?。
それとも自力で戻れるか・・・?。
変わることは確かに不安かもしれない。
しかし、心底では変化を求めている。
ちょっとした勇気があれば、変わることはいつでもできる。
流れ始めれば、急流もあれば穏やかに運ばれることもある。
またよどみにはまることもある。
そしてやがては大海へとつながる。
分子となった木の葉は、新しい命の営みに貢献する。

人は大自然の中で生かされている。
人とて木の葉と同じこと。
大いなる法則の前で例外など存在しない。
全ては等しく平等である。



   『欲の面積=不幸感の面積』

一言で「欲」と言っても、いろんなものがあります。
物質的なもの、人間関係的なもの、生活環境的なもの、金銭的なもの・・・。
求めるがゆえに満たされず、不幸感を感じ、ネガティ部に入部してしまう。
欲を持つことは悪いことではありません。
ただ、ポジティ部員とネガティ部員では、心の方向性が違うのです。

ポジティ部員はそれを達成しようとして自ら前向きに進むことで成長します。
物質的な欲、金銭的な欲を満たそうとするならば、どうしたら仕事が増えるか、どうしたらもっと稼げるかという努力をするでしょう。
生活環境に不満を感じるならば、どうしたら自分がこの現状をポジティブに捉えることが出来るかを考え、精神的に鍛錬されるでしょう。
人間関係に不満を抱えている人は、まず自分を見つめなおすでしょう。
彼らは自らが変わること、成長することによってのみ、自分の理想に近付くという事を知っています。

その逆がネガティ部の教え。
自分が満たされないのは全て人のせい、環境のせい、社会のせいです。
自分はちっとも悪くない。だって私はこんなに頑張っているんだから。
こんなに頑張っても満たされないのなら、もうやめてしまおう。

こんな家に生まれたくなかった。
こんな会社に勤めたくなかった。
こんな社会で生きたくなかった。
こんな人を好きになるんじゃなかった。
こんな場所に来るんじゃなかった。等々。
でも、結局どれもこれも自分で決めたこと。

自分の責任を他になすりつけて、悲劇のヒロインに成り下がる。そして、ネガティ部員同志で慰め合うんです。
依存、理想が高いから、空腹感は満たされない。欲望の胃拡張。
『私は〜なのに』の『のに地獄』。
ネガティ部は仮入部、体験入部くらいにしておいたほうが良さそうです。

世の中のルールは『give&take』です。
かなりのボランティア精神がないと、与え続けるにも限界があります。
teke&takeは絶対に崩壊します。
神様は頑張る人の味方です。
幸せになろうと努力する人の味方です。
そして、その神様は一人一人の内に宿ります。
あなたの心、言葉、行動を常に監視しておられます。
ネガティ部に一度入部してしまうと、そう簡単には退部させてもらえません。しかし、確固たる信念と覚悟を持ってそれに挑み、あなたがネガティ部を退部して、ポジティ部に入部届けを出すとき、神の光はあなたを照らします。

 

 『人生の答え』

『私はいま、間違った道を進んでいるのではないか?。』

というような不安を抱えながら日々を過ごしておられる方にお会いする機会は少なくありません。


でも、人生の答えは本当にこの世を去る間際でないと出せないものです。

それまでは全てが過程なのです。


人は常に失敗と成功を繰り返しながら経験を重ね成長していきます。

失敗は成功の元という言葉があるように、失敗するということは前に進んでいる証拠なのです。

出来るだけ失敗したくないとは誰もが思うでしょう。しかし、そう思い1歩を踏み出すことが出来ないでいるのは、生きて行くことを放棄しているのと同じことなのです。

山頂へと到達する道は数あれど、山頂はひとつ。

それは山頂へ到達して初めて実感できること。

先達は多くの助言を与えて下さっています。


あなたがなすこと、あなたに起こることで無駄なものは何一つありません。

要は、あなたが学びとして受け取ることが出来るかどうかなのです。

もしもあなたがそのように物事を見ることが出来る心の目を手に入れたならば、それは至福へと至る道を見つけたのと同じことなのです。





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